2012年9月21日金曜日

♪NO.5♪ 社長からエグゼクティブコーチになったわけ Vol.2


第二の選択:最先端の世界への挑戦

自由なブラジルから33歳で帰国した私には日本での会社員生活は相当窮屈であった。帰国後に配属になったのは、当時の会社では所謂事務系のエリートコースの資材部であった。製造メーカーの中で非鉄金属原料の世界でも有数な購入実績を誇る部門であった故、極めて日本的なメーカー・商社の付き合いにワクワク感は薄かった。

悶々としていた最中に外資系のITメーカーであるサン・マイクロシステムズの日本法人から声がかかったのは、まさに「渡りに船」状態で、何の迷いもなく転職を決意した。今となっては、30代の転職は当たり前だが、当時は、終身雇用が鉄壁な制度として企業に根付いていた時代。当時、課長補佐としてバリバリの中堅社員が自らの意思で会社を辞めることは企業側も「想定外」であったに違いない。しかるに、上司や人事部の引き留め工作は凄まじいものがあり、上司には十回以上も飲みながらの説得に合うことになる。妻をはじめ親兄弟までが「何故転職か?」という疑問を持つ時代背景というのがつい二十年前だったことを考えると、この間の価値観の変遷のスピードは隔世の感がある。
 
写真はイメージです

こんな説得を振り切る形で、自分の「選択」をした私を世間の見る目は決して温かくはなかった。「失敗するんじゃないか」「無謀だ」「敢えていばらの途を・・」などと揶揄(やゆ)する先輩同僚もいて、その反動もあり、「絶対に悔いのない選択をしたと言える結果を残そう」と心に固く誓ったものである。
 
サン・マイクロシステムズは当時ITバブルの初期の段階で「シリコンバレーの星」と呼ばれて巨人IBMを倒さんとする勢いのある最先端企業であった(2010年にオラクルに買収された)。入社してまず驚いたのが、オフィスの背の高いブース。三方を人の背丈程のパーテションで囲まれているので、着席すると隣の人が全く見えない。また、一人あたりのスペースが広くて、贅沢な空間である。いわゆるキューブとよばれるもので、オフィスの入り口を入った瞬間からキューブしか視界に入らない世界はまさにこれまでのオフィス概念を360度覆すものであった。

輪をかけてショックだったのが、インターネットが1993年当時、今から約20年前に職場で使われていたことであった。一人一台のパソコン(正確には一台300万円の高級ワークステーション)が与えられ、大量のメールが社内で飛び交う、今では当たり前の光景が、既にこの時代に社内のコミュニケーションツールとして存在していた。経営幹部も平社員も全員がメールを使いこなす文化にはさすがに戸惑ったし、異次元空間の体験の毎日であった。

キューブやメールといったものだけでなく、この会社には最先端の「サン・ユニバーシティ」と呼ばれる最先端の社員教育システムがあった。グローバル社員を本社に集めての徹底した訓練である。ここでは、最先端のマネジメントやリーダーシップについて学んだ他、世界中の逸材から、スピード感、プレゼンテーションスタイル、アカウンタビリティ(自主性)などに触れることができ、30代前半で最先端マネジメントテクノロジーを経験できたことは、その後の私のキャリア形成に大きなプラスの影響をもたらしたといっても過言ではない。

写真はイメージです
 
日本企業に安住していたならば、どういう人生を送っていたのであろうか?と時々振り返ることがある。それは、50歳になってから年に一度開かれる同期入社の会で、多くの同期入社仲間と再会するときである。それぞれの選択をしてきた皆の人生を見ることが出来る瞬間である。同じ日本企業で頑張っている人、転職して苦労している人、独立して起業している人・・・人生のどのシーンでどの選択権のカードを切ったかの結果が興味深い。(つづく)